« 2013年6月 | トップページ | 2016年8月 »

2013年7月

2013年7月31日 (水)

霊に導かれ(柳田國男の誕生日を記念して)

【復刻版日記2011年8月18日】霊に導かれ始まり、霊に導かれ終わる、

思えば長い道のりだったが、20年前に始めた日本の特異体質の追究の旅も漸く終わろうとしている。
切っ掛けは先日の終戦記念日での出来事であり、祖父が余りにも憤慨する孫を見かねてメッセージを送って呉れたものと確信した事である。

「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」

この会話の中に全てが集約されていた、「潔く死ぬ事を美しいとする民族」これこそ聖俗未分離の特徴である全か無か、オールオアナン、つまり全面勝利か玉砕の二分法、自虐か美化の二分法なのであり、僕が口を酸っぱくして言う、日本人は真善美を輸入した時、順番を美善真と並べ替え真が最後に来る、美意識先行型のものに作り変えてしまったと言う所以なのである。

日本人はこの聖俗未分離状態、つまり個=1が括り出されてない状態を続ける限り、近代文明を理解する事が出来ず、従って、科学者でさえ科学的でないという、論も個も無い状態に留まるのである。
聖俗未分離というのは、イスラム教の聖俗一致に世相は似ているが一度分離したものを一致させるのと違い問題が多い、僕がよく、日本人はイラクやアフガンみたいにアメリカの押し付けの自由を拒み続けているのと同じだと言うように、かつての人間魚雷、特攻隊はイスラムの爆弾テロ、所謂スイサイドボマーと同じなのである。

敗戦と共に天皇が人間宣言をし、柳田國男の所謂「国の礎」を失い、心の拠り所を失った日本人はカルトに走り、現在のような混沌とした国民不在の社会を作り上げてしまった。
更に最悪な事に日本国民は僕が言う大人になりたくないシンドローム、所謂ピーターパンシンドロームの為に自由よりも秩序を選択し、民主党を選び左傾化してしまったのである。
僕が揶揄する世間主義人民共和国は既に社会主義人民共和国へと積極的に様変わりしているのである。
柳田國男がかつて、「個人だ自由だと概括論を通していると今に馬脚を現す」と言ったように、今まさに馬脚を現しているのである。

これは憲法の前文にある「人類の普遍的原理」に逆行する行為であり、日本はプレモダンから脱却する事なく、安易に左傾化の道を選び、主体性の無い、独立国とは言いがたい状態になり、国民に自分が欠如する為に国家にも主体性つまり主権が無い事にも気付かずに推移しているのだ。

これ以上個の確立を説くのも無駄と判断した為、これをもちまして僕の日本の特異体質追究の旅を終わらせて頂きます。

« 2013年6月 | トップページ | 2016年8月 »