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2013年6月13日 (木)

科学者が科学的でないとどうなる

【復刻版日記2011年5月18日】今回の原発騒ぎで気付かされた事は多い、中でも、大分前に仮説として、中心に哲学を置き、全能性追求の姿勢で科学を生み出し、普遍性追求姿勢で宗教を生み出す、人間の思考回路を図説しておきながら、全能性追求姿勢も普遍性追及姿勢も欠如する日本で科学だけが正確に機能するわけもないと言う事に気が付かなかったのは不覚だった。

勿論自分或いは僕の親父を含む大部分の国民がって時に学者だけ例外だって事はあり得ない、つまり、僕が日本には科学の発生する土壌が無いと言った時に、「日本にも科学はある」と一言言って押し黙った生物学者の親父しかりなのである。

柳田國男の時代に僕が敢えてここで論う事が不要な程日本の特異体質は括り出されていた。

僕が柳田國男の日本人らしさの追求は図らずも現状にそぐわないものだったと事ある毎に書いていたが、少なくとも國男は眼を現在におき、常に改良を唱えて居た事である。

でも僕が調べた限り、学者さん達は違いばかり論い、負け惜しみの内弁慶的発言ばかりが目についた事も確かである。

僕の叔父である宗教学者の堀一郎ですら、違いを強調し、結局これだ、

「千年以上も前につくられた律法や戒律不寛容性を強調する宗教が人類の進歩にどれだけ将来貢献し得るのか。」
「近頃、イデオロギー運動の宗教化現象を見るにつけても、わたくしははなはだ懐疑的たらざるを得ないのである。」

と、他所が旨く行っていない事を盾に、自分を安易に肯定してしまっている。

あの世間についてお書きになってられる阿部謹也先生もしかり、

「この状態を見て、学者の多くは日本が遅れていると思っているようですが、私はそうは思いません。遅れているとか進んでいるという問題ではなくて、質の違う文明、文化なのだと思います。ヨーロッパの個人は十二世紀に生まれたのです。」

他にも例は沢山ありますが、詳細については僕の近代文明学総論、日本の特異体質、ポストモダンを併読して頂きたい。

三省堂から出た一語の辞典の作田さんに至っては、

「孤独の孤としての個の概念は虚構に過ぎない」みたいな事を言い切るし、そんな事言ったら、この世に普遍とか全能とか存在しないのだから、普遍性の追求とか全能性の追及なんて虚構に過ぎないじゃないの、この世に無いからこそ追求するんでしょ、あれば追及しないでしょうが。

そして最後には、日本の個人主義は共和主義的個人主義だとか経済的個人主義だとか訳のわからない事を述べ立てて終わり、結局学者さん達は日本が遅れていると言いたく無い為に違いばかり強調して、結局違いばかり論う日本人の特異体質もろだしでしょ。

皆只情緒的で事実を認めたくないのよね、結局、つまり、自虐と美化の二分法で書いたけど、間に存在する科学教徒なのさ、ちっとも科学的じゃないって事。

科学的じゃないって事は、科学の基本である要素還元主義が苦手だって事、だから、要するにってのが無い、只々難しい言葉を羅列して行数ばかり増やし、情報を咀嚼してから自分の言葉で述べるという事がないから、何を言いたいのかさっぱり理解出来ない。

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