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2013年6月13日 (木)

似非科学 

【復刻版日記2011年5月14日】科学は簡単に言うと人間の全能性追及の結果である、

東大の渡辺名誉教授によるとこうだ、

「科学とは、西洋の姿勢・文化、具体的にはキリスト教的世界観が生み出したものです。この世界を神の被造物と見て、自然を神のみわざを読み取ることができる『第二の聖書』と信じ、探求を積み重ねることで科学が誕生し、発展してきた。自然に没入し、自然と一つになろうとする日本の伝統からは、そもそも近代科学は生まれ得なかったのです」

全能性追求姿勢が欠如してる日本だと、現是利益の追求に終始し、科学の目的である全能性の追求姿勢がおろそかになる。
ギリシャの彫刻家のように何世代も掛けて一つの彫刻を完成させるなんて気の長い話は日本では少ない。

これは自分の在任中に新幹線を自分の地元に引いて、駅前に銅像を作らせようなんて代議士が考えているお国柄だからである。

アメリカの火星緑地化計画、みたいな気の長い話、確か100年掛けて火星に酸素を生じさせ、人間が住めるようになるまで10万年とか言う壮大な計画だっと思ったが、そのような発想は日本には無い。

今回の原発事故がきっかけで原発に代わる代替エネルギーとして、クリーンエネルギーへの移行と言う事が強く叫ばれるようになった。

最近原発のメーカーでもあるIHI旧石川島播磨重工で低コストの風力発電プラントが開発されたとも聞く、もし日本の科学者が最初からクリーンエネルギーを考えていたら、今になって慌てる事も無かったのではないかとも考えられる。

それとも原発こそが究極のエネルギーであって、他の方法は考える必要すらないと思っていたのだろうか。

それとも原発族議員が子女を東電に入社させ、自分の天下りの受け入れ先を確保しようとやっきになった結果で、いわば東電が越後屋、大臣が悪代官のあの図式だったからなのだろうか。

今回各国から原発用ロボットの提供があったが、悲しい事にそれを扱える人間が東電には居なかったというみっともない結果になったのは、未だ記憶に新しい。
これは現是利益にかまけて、俗に原発奴隷と言う使い捨て労働者に依存して来た旧態依然とした人海戦術であったからだろう。

前述の渡辺教授が応用力学の職を辞して科学しの研究を志したのは、

「日本の科学のあり方への疑問が大きくなってきたんです。戦争に奉仕、人命もろとも戦艦に体当たりする特攻機を生み出すような、日本の科学とは何だったのか。明治以来の科学の受容方に問題があったのではないか、と」

という切っ掛けであり、以前御紹介した通りである。

ロボット産業と言えば、日本が近隣追随諸国にリード出来る唯一の分野と言われていた位日本の得意分野だった筈、完全に将来への布石が欠如していたのが暴露されてしまった。

現是利益ばかりにかまけて、常に先へ先へと布石を打って行く機能が欠如しているのは、ひとえに全能性追及姿勢の欠如から来るのではないか、つまり日本の科学は似て非なるもの、似非科学なのである。

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