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2013年6月11日 (火)

日本人の都合の良いとこ取り

【復刻】よく言われる事で、日本人は器用に海外の文化を身につけてここまで急速に発展を遂げた、その陰にかなりの犠牲を払っている事も確かである。

良いとこ取りってのはいいけど、都合の良いとこ取りってのは下手したら都合が良けりゃ悪いとこまで取り入れてしまうと言う事で芳しくない。

例えば、全体主義(ホーリズム)にアメリカの合理主義(プラグマティズム)を取り入れた為人間がロボット化して発展を遂げたのは良いのだが、人間がマニュアルに書いてない事が出来なくなってしまったとか、これは僕はひとえに僕の親父の時代の学者が合理化してはいけない教育に真っ先にプラグマティズム(〇×式)を取り入れた為と認識している。

一度親父に最近の若者がものを考えなくなったのは○×式の為じゃないかと言った事があったが、「何を言うかあれは自分たちが考案した画期的なものだ」と言われてがっかりした時もあった。

僕はこれを日本人の都合の良いとこ取りって呼んでるけど、ファーイーストでもない、かと言ってファーウェストでもない、ある時はアジア、ある時は西欧諸国と一緒みたいな恰もイソップの蝙蝠のように見える、どっちつかずってのは幾らなんでもまずい。

僕はひとえに日本は東洋のナチュラリズムでもないし、西洋のヒューマニズムでもない、ちょっと変わった独自のホーリズム、言わば、全体主義みたいなところがあって、All or None つまり全と無の間を行ったり来たりしていると思っている、

昨今の自殺率の上昇、出生率の低下なんて見ても、西洋みたいにAll and One という考えを導き出していれば、これほど迄に個人が追い詰められる事も無いのではないかと思う位である。

親が子供に小言を言う時も、ある時は目上の者を敬えって、儒教的だったり、ある時は和をもって尊しとなせって聖徳太子だったり、ある時は何時の隣人を愛せよってキリスト教、行き詰ると、「社会ってこんなもんだよ」、「人生ってこんなもんだよ」って無常論を唱え突然仏教になっちまって、これじゃ子供がまともに育つわけもない。

日本国憲法の前文に「人類の普遍的原理」ってのがあるが、それが都合がわるいのだったら、「あかき、なおき、あおき、ただしき」に変えるなりしてらどうなんだ、国是が無いってのは致命的なんじゃないか、それとも人類の普遍的原理ってのを理解するかどっちかでしょ、

僕はあの小泉純一郎元総理がしたりがおで鼻の穴を膨らませて「俺の考えは人類の普遍的原理に基づいている」とうそぶいた時はさすがに腹が立った、一国の総理とあろう人間が国是を揶揄するってのはどうかと思う。

大体政治家も皆受け狙い、美意識先行型で、『美しい国』 なんて本まで書いた首相もいた、学問を輸入したとき、真善美ってのを勝手に美善真と並べ替えた上、真が三角形の頂点に来るべきものを、一直線に並べてしまったから、日本では真善美が衣食住に反映しなくなってしまったと僕は理解している、日本では真は最後に来ると考えると、納得の行く事も多いのが皮肉だ。

柳田國男も確か、「真はインターナショナルじゃなければいけないが、善と美はナショナルだ」とかかなりこじつけくさい事を書いていたように記憶している。 (これは2010年12月12日の日記を復刻したものである。)

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