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2013年6月11日 (火)

国際個人学研究所再考 

【復刻】先日柳田國男評伝をお書きになっている木村氏のブログを拝読して、忘れかけていた、僕の柳田國男研究ならびに柳田國男曰く「第二部=開港後の日本」としての国際個人学研究所を再考するに至った。

日本人が自由主義、個人主義を標榜し、近代文明を享受し続ける限り学ばなくてはいけない何か、柳田國男も言い続けた輸入の学問では解けない日本人の心、それが柳田國男曰く「第二部」を解く鍵になるのである。

日本の個人主義、自由主義は欧米社会のそれとは違う、欧米の個人主義、自由主義は日本では通用しないなんて言っている場合じゃない、日本が世界で通用するか否かの大問題なのである。

日本は開港以来、輸入の学問一辺倒であり、翻訳文化どっぷりで、それらの弊害がそこかしこに見られる。

日本人の特徴として教科書がないとにっちもさっちも行かない、つまり自分で考えるという習慣が欠如している。
つまり、柳田國男をいくら読んでも解決策は書いてないということであり、その続きは自分で考えるしかないということなのである。

僕が「個人学」、「自分学」と言うものを造語して提唱したのもそこにある、輸入の学問には日本人向けに「自分をみつめる方法」、「絶対主と一対一で対峙する方法」なんて教科書はない。

僕が言いたかったのは個人という言葉はindividual=indivisible=分けられない、つまり分業が出来ないという意味で、分業が出来ない事は自分でやるしかないと言う事なのである。
日本人はtake care of yourselfというのを気をつけてねと訳すが、これは、自分の面倒を見なさいという意味である。
つまり、西洋人は常に分業が出来ない、自分の面倒は自分で見なさいといい続けているから強いのである。

日本が大きく変わったのは、柳田國男の没後、東京オリンピック以降であり、柳田國男のジュネーブ以降なんて言っている場合じゃないという事なのである。 (これは2010年11月24日の日記を復刻したものである。)

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