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2013年6月13日 (木)

少しは私に愛を下さい 

【復刻版日記2011年5月20日】少しは私に愛を下さい
♪一度も咲かずに散って行きそうなバラが鏡に映っているわ、♪

これは小椋佳がNYに赴任していた時自分の勤めていた勧業銀行が第一銀行とが合併した時に、NYCに居て疎外感を感じ悲しくなって作った曲だと記憶している。

今ユーチューブで小椋佳 来生たかお 井上陽水のステージを見て、オーストラリアに居て祖国の崩れて行く様に嘆く自分を重ね合わせて涙が出て来た。

よく日本は終わってるとか言う声を耳にするが、実は日本は始まっていないのである、つまり、自分が無ければ始まらないと言うように、日本人は自分がないから始められないのであり、従って終わりようもないのである、これが、一度も咲かずに散っていくバラなのだ。

僕が20年間追求してきた日本の特異体質に、自分が無いからと頭につけてやると納得出来る。

自分が無いから、付和雷同
自分が無いから、自己殖民型
自分が無いから、当事者意識の欠如
自分が無いから、蚊帳の外(自己遠心)
自分が無いから、自分で考える事(哲学)が無い
自分が無いから、自分の言葉でしゃべれない

これで柳田國男の括り出した日本人の特徴、僕が括り出した日本人の特異体質が皆あてはまる。

僕が今まで和魂洋才の弊害、輸入の学問の弊害、翻訳文化の弊害、と言い続けたものは全て、総論を輸入せず、各論だけを利用して今回の様な致命的に国土を汚染する原発事故を惹き起こした原因なのである。

つまり自分が無ければ、自分を客観視して普遍性追及姿勢も生じず、それが無ければ宗教さえ生まれず、宗教が無ければ全能性追求姿勢もうまれす、従って科学も生まれないのである、僕が日本では科学者も科学的でないと言う根拠はここにあるのだ。

個の確立が大人の基準であり、近代文明が進化の基準だとすると、日本人は子供であり、遅れていると言わざるを得ない。

この原発事故を教訓として意識改革を図らなければ日本は始まる事なく、聖俗未分離のまま終わるだろう。

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