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2013年6月12日 (水)

エートスなのかパトスなのか?

【復刻版日記2011年5月5日】
♪心が寒い、心が痛い、夢がお互いに違っていたのね、、、♪

何故歌謡曲の歌詞が心に響くのか、何故ならば日本人が情緒的だからである、この特徴はは良い方向に出る時もあれば悪い方向に出る時もある事である。

聖俗未分離とはこう言う事なのである、右脳も左脳も分かれていず、知性と感性も分かれていない。
くそみそ一緒の状態なのである。

これが俗に言う一か八か、All or None、当たるも八卦当たらぬも八卦のホーリズムと言う物である。
つまり日本人のエートスは情緒なのである。
それともエートスは甘え、事勿れ、付和雷同、美意識先行、負け惜しみ、内弁慶、グループアイデンティティー、パトスが情緒なのか?

20年前僕は、ダンテの神曲の一節みたいに、「僕は人生の半ば過ぎ暗い森の中にいた」なんて言っていた。
当時スウォッチにダンテの横顔にその一節が書かれているのがあって愛用していたのを思い出す。

当時青山のパーティーで酔っ払ってその下にあったペットショップで衝動的に買ってしまったコッカースパニエルにも勿論ダンテと名前をつけたし、彼女を買ってビーチェ(ベアトリーチェ)って名前付けようなんて言っていた位である。

"The biggest mistake I've ever made in the last fifty years in my life is to misunderstand Japanese people more logically organized, that there's the difference between what I think is modern civilization and what the majority of Japanese people think."

10年前にはこんな事を書いていた、これが冒頭の歌謡曲を思い出させるのである。

僕の試みは元々ポストモダンのエートスを求めてと言うものだった、その後モダンが無ければポストモダンも無いと気がついた時に、これを書いたのだと思う、確か大江健三郎さんが仰っていた言葉じゃないかと思う。

結局日本にはモダンなんて無かったのであり、従ってポストモダンなんてのも無いのである。

近代日本、科学的な日本人って言葉が自己矛盾なんて悲しい限りである。

エートス 2011

①人間の持続的な性格の面を意味する語。
②ある民族や社会集団にゆきわたっている道徳的な慣習・雰囲気。エトス<->パトス

パトス

事件や他人により人は受難としての情熱・激情を内部に持つ。
それはエートスのように恒常的でない代わりに、一瞬の内に何かを生み出す契機となる。<->エートス

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